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80年を旅した空色の振袖の物語|曾祖母からひ孫へ受け継がれた一枚が蘇るまで

戦前の振袖を再生して成人式に打席 扇面柄

染と呉服はっとりの女将です。

日本の箪笥の奥に眠っている着物のことを、いつも考えている一人です。

着物というのは不思議なものでして、布の中に「時間」が宿っております。それを纏った方の息遣い、袖を通した季節の空気、共に過ごした人の記憶——そういうものが、生地の一本一本の糸に染み込んでいると、私は本気でそう思っております。

今日は、そのことを改めて深く感じさせていただいた出来事をお話しさせてください。

少し長いお話になりますが、どうかお付き合いくださいませ。


一枚の空色の振袖との再会

それは、ある秋の午後のことでした。

店の戸がそっと開いて、上品な身なりの初老の女性がお入りになりました。腕に大切そうに風呂敷包みを抱えて。見覚えのない方でしたが、その落ち着いた物腰に、どこか古い時代の品格のようなものを感じました。

「突然お邪魔して申し訳ございません。こちらの染と呉服はっとり様でお間違いないでしょうか」

はい、と申し上げますと、その方はふうっと小さく息を吐かれて、「よかった。やっと来ることができました」と、おっしゃいました。

風呂敷をそっと解くと、中から出てきたのは——青地に扇面と白と金の刺繍が施された、見事な振袖でした。

「これは私の曾祖母の代に、こちらのお店で買い求めていただいた着物だと聞いております。戦前のことでございます」

私は思わず、両手でそっと受け取りました。

曾祖母から先様へ——振袖が渡った日

お話を伺いながら、だんだんと輪郭が見えてまいりました。

その方のお名前は、田中(仮名)さとさま。奈良の老舗商家のご出身で、現在は京都にお住まいとのこと。今日は、この着物のことをずっと調べていらして、やっとこちらの店に辿り着いたとおっしゃいました。

この青い振袖には、こういう経緯があったのです。

さとさんの曾祖母にあたる、田中ふじさまは昭和の初め——戦争が始まるよりもう少し前のことです——当時まだ若い娘さんで、この振袖を大変気に入って誂えられたとのこと。しかし、時代の波に逆らえず、戦時中の物資が乏しかった頃、心ならずも手放すことになりました。

売ったのではなく、「預けた」という感覚だったかもしれません。

その着物を買い求められたのが、当店の古いお客様でいらした山本(仮名)家のご先祖様でした。終戦直後の混乱の中、山本家でも大切に保管されていたものの、代が変わるにつれ、着る機会がなく、箪笥の奥深くに眠り続けていたそうです。

そして昨年、山本家の三代目のご主人が家の整理をされた際に、この振袖を発見。当店の古い台帳の記録が着物の包み紙に記されていたことから、さとさんのご家族に連絡が届いたというのです。

「もとはあなたのご先祖様のものだったようですよ」と。

人の縁とは、本当に不思議なものでございます。

戦前の着物が語りかけてくるもの

私はその振袖を、光の方に向けてじっくりと拝見しました。

青地は、深いが草木染めの様で少し色が褪せていました。今の青とは少し違う、時間が積み重なった独特の空色。白と金の刺繍は、扇面の意匠。——扇面は、末広がりを象徴する、おめでたい吉祥文様です。

縫い目を見ると、今ではほとんど見られなくなった糸の細かさ。裾には、ふきが掛かっていました。職人の手が一針一針入れた丁寧な仕事が、80年以上の時を経てなお、きちんと生きておりました。(*ふきとは?裾1センチ程に真綿が入れて縫ってありふっくらしており着姿に重厚感や華やかさがでる)

「よく残っていてくださいました」と、私は思わず着物に声をかけてしまいました。

着物というのは、纏った人が命を終えた後も、存在し続けます。ふじさまが亡くなってからも、この振袖は生き続けていた。そう思うと、胸に迫るものがありました。

「曾祖母は、この着物をとても好きだったと聞いています。嫁入り前に誂えて、手放すときはずいぶん泣いたと、祖母から聞きました」

——さとさんのお言葉

私は黙って聞いておりました。言葉が出てきませんでした。

四代目のお嬢様が袖を通す日のために

さとさんがこの着物を当店に持っていらしたのには、理由がありました。

さとさんには、来年成人式を迎えるひ孫娘——曾祖母ふじさまからみれば四代目にあたる、咲(仮名)さんというお嬢様がいらっしゃいました。

「この振袖を、咲に着せてやりたいのです」

その言葉を聞いた瞬間、私の背筋がすっと伸びました。

四代を隔てた振袖。曾祖母が涙をのんで手放した一枚が、まわりまわって戻ってきた。そしてその曾祖母の血を引くひ孫娘の、晴れの成人式に間に合った。

こういうことが、着物の世界では起きるのです。決して不思議なことではありません。

「状態を確認させてください」と申し上げて、改めて丁寧に拝見しました。さすがに80年以上が経っておりますから、衿と袖口に黄変が見られ、全体にくすみがありました。裏地の胴裏は交換が必要な状態でした。ただ、表地の正絹はしっかりとしており、生地の裂けや穴空きもなく職人の手にかければ十分に再生できると判断しました。

「お任せください」と申し上げたとき、さとさんの目に涙が光りました。

蘇る一針、蘇る時間

ここからは、着物の仕事の話をさせてください。

まず行ったのは、洗い張りです。着物をすべて解いて反物の状態に戻し、水洗いして張り板に貼って乾燥させる——着物本来の本格的な手入れ方法です。80年以上の汚れ・黄変・くすみを、繊維の奥から引き出していきます。

洗い張りを終えた生地を見て、私は息をのみました。空色の地色が蘇っていたのです。くすみが取れると、刺繍の白と金がまるで息を吹き返したように輝きはじめました。

次に、黄変の染み抜きです。衿・袖口を中心に、専門の処置で年月が染み込ませた色を丁寧に引き抜いていきます。戦前の染料は現代のものとは成分が異なり、溶剤の選択には特に慎重を要しました。

そして仕立て直し。咲さんのお体の寸法に合わせて、和裁士が一針一針手縫いで仕立て直します。裏地の胴裏・八掛は新しいものと交換しました。真っ白な胴裏に包まれた戦前の生地が、また新しい命を吹き込まれていくような感覚でした。

衿・比翼・袖、すべてが整って、振袖が完成したのは、ちょうど桜の咲く頃でした。

「こんなに美しくなるとは思いませんでした。曾祖母が喜んでいると思います」

——仕上がりをご覧になったさとさんのお言葉です。

ひ孫が着る戦前の振袖 実例

成人式の朝

成人式の当日、咲さんは朝一番で着付けのお支度をされました。

お式の後にさとさんも一緒においでになって、母さまと三人で笑顔で当店においで下さいました。

咲さんは二十歳の、颯爽とした若いお嬢様でした。空色地の振袖が似合うかしらと少し心配しておりましたが、とんでもない。青の地色が、咲さんの白い肌と黒い髪を引き立てて、凛とした美しさが生まれておりました。

扇面が、袖から裾にかけて流れるように広がる。その模様の前で、さとさんがそっとひざまずいて裾を整えながら、「おばあちゃまが見たらきっと喜ぶ」と、小さくおっしゃいました。

私はその場でそっと後ろを向きました。涙をこらえきれなかった。

戦前に誂えられた一枚の振袖が、80年以上の時を超えて、四代目の娘の肩に収まっている。その光景を前に、着物という仕事をしていてよかったと、心の底から思いました。

着物文化を次世代に残すということ|奈良の呉服店としての使命 

箪笥に眠る着物のことを思うとき

この仕事をしておりますと、様々な着物との出会いがあります。

戦前の着物、戦後まもなくの着物、高度経済成長期に誂えられた着物、バブルの頃の豪華な振袖——それぞれの時代の空気を纏って、今も日本中の箪笥の中に眠っている着物が、どれほどあることでしょう。

眠っている着物には理由があります。着る機会がなくなった。体型が変わった。着付けの仕方がわからない。どこに相談すればいいかわからない。そのうちに年月が過ぎて、開ける機会を逃してしまった。

でも、着物は待っています。

次に袖を通してくれる人を、静かに、辛抱強く待っています。

咲さんの振袖は、80年待ちました。それでも美しく蘇りました。着物の生命力というのは、私たち人間が思っている以上に、強いものです。

日本の箪笥に眠る着物を救いたい——これが私の仕事に対する、正直な気持ちです。

あなたの箪笥にも、誰かの「もう一度着たい」を待っている着物が眠っていませんか。

おわりに——女将より

さとさんは、成人式の後日、咲さんと一緒に店に来てくださいました。

「女将さん、ありがとうございました。咲がね、『また振袖を着たい』と言っているんですよ」

それを聞いて、また胸が熱くなりました。

着物が好きになってくれた若いお嬢さんが、また一人生まれた。その着物が戦前のものであることも、曾祖母がかつて手放した一枚であることも、咲さんはもちろんご存知です。だからこそ、ただのお気に入りの服ではなく、「この着物を大切に着たい」という気持ちが芽生えているのだと思います。

着物文化の継承とは、こういうことだと私は思っております。特別なことではなく、ごく自然に「この着物を次の誰かに」という気持ちが受け継がれていくこと。

当店は四代、奈良でこの仕事をしてまいりました。これからも、箪笥の奥に眠る着物を救うために、一枚一枚に誠実に向き合い続けます。

もし、あなたのお家の箪笥に眠っている着物があれば、ぜひ一度広げてみてください。そして、気になることがあれば、何でもご相談ください。

思い出の振袖や、受け継がれたお着物のご相談も承っております。

**ご注意 経年劣化による再生が不可能なお着物もございます。今回のお着物は保存状態が非常に良かった為、無事に再生が出来ました。全てのお着物が可能であるとは限りません。ご了承ください。

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