着物を愉しむブログ | 染と呉服はっとり | 奈良市の七五三晴れ着の販売

着物を愉しむブログ

正倉院展の宝物から考える着物の美|1300年前から続く染と織の文化

正倉院裂と花喰い鳥の漆器

そろそろ正倉院展の案内がちらほら見え始め、一年が経つのは早いと思いつつも「もうそんな時期なんだ」と感じます。毎年のことながら、この季節になると奈良の空気がすこし変わる気がするのは、私だけではないと思います。

今年2026年は第78回

10月24日から11月9日まで、奈良国立博物館で開かれます。着物を扱う者として、正倉院展は単なる「秋の行事」ではありません。そこに並ぶ宝物の中に、今私たちが扱っている染めと織りの、遠い源流を見ることが出来る特別な存在です。

秋の奈良・正倉院展を是非お着物を着て訪れてみてはいかがでしょうか。

正倉院の宝は、なぜ今も私たちを驚かせるのか

正倉院展の始まりは、戦後まだ日本が混乱していた昭和21年(1946年)のことです。太平洋戦争中、空爆の危険から守るために奈良帝室博物館(現・奈良国立博物館)に疎開していた宝物を正倉院に戻す前に、「ひと目見たい」という一般の声が上がりました。そうして33件の宝物が初めて公開された「正倉院御物特別展観」が、すべての始まりでした。

戦後間もない人々に、奈良時代から受け継がれた文化の素晴らしさを感じてもらい、文化的な自信を取り戻してほしい——そんな願いのもと、第1回正倉院展は開かれました。 その後、現在の正倉院展へと続いていく——。食べるものも、着るものも、住む場所すら不足していた時代に、人々が宝物に「生きる活力」を求めたという事実は、深く考えさせられるものがあります。

戦後復興とともにあったといっても過言ではない正倉院展が、今年で78回目を迎えます。人々が生きるために必要なのは日々の食事や衣類や住む場所であることは間違いなかったはずです。でもそれ以上に、人は「活力」を欲していた。美しいものを見ること、かつて確かにあった豊かな文明の息吹を感じることが、荒廃した日々の中でも人の心を支え続けたのでした——。

日本には八百万の神々がおられ、それはモノにも宿るといいます。私たちはまだ使えるものを簡単に捨てず、長年使ってきたものには愛着を持ち、それは布や筆や針といった消耗品であっても、供養をしてきました。筆塚や針供養という形で残っています。それはモノにも命が宿ると信じられているからです。

正倉院の宝物の多くは奈良時代のもので、中にはさらに古いものもあり、約1300年以上前から地上にある宝物ということになります。長年大切に保管してきた人々の気持ちも合わさり、宝物自体に大きな力が宿っていると感じます。何より大切に受け継がれてきたこと自体が素晴らしいことなのです。

当店も着物を三代にわたり継承していく取り組みに力を注いでいます。この考えも物を大切に受け継ぐ理念で正倉院の長きに渡る営みと似ているように感じています。合理的なことが中心にくる世の中にあっても、歴史は変わらずにいるのです。着物と正倉院の宝物は、同じく長く愛され続けるものです。そんなことを着物を扱う者として、今年も改めて感じています。

正倉院には「衣服」と「染織」が残されている

正倉院には宝物として、楽器・調度・武具・文書・薬物などが収められていますが、染織品の量は群を抜いています。正倉院伝来の染織品は「正倉院裂(しょうそういんぎれ)」と総称され、錦・綾・羅などの織物をはじめ、臈纈・纐纈・夾纈など、高度な染織技術を用いた品々が数多く伝えられています。

これらは主に、天平勝宝8年(756年)、光明皇后が崩御した聖武天皇の御遺愛品を東大寺の大仏に献納されたことに端を発します。天皇が生前に愛用した衣服・調度・楽器類が、そのまま宝庫に納められ、1300年の時を経て今に残っているのです。

正倉院の宝物は、単なる「美術品」の集積ではない。聖武天皇という一人の人間が身につけ、触れ、愛した「生活の品々」が、その人の死を悼む妃の手によって保管されたものだ。布一枚にも、そういう人の気持ちが宿っている。

正倉院裂の技法的な内訳を見ると、錦・綾・羅などの織物と、「上代三纈(さんけち)」と呼ばれる臈纈(ろうけち)・纐纈(こうけち)・夾纈(きょうけち)などの染物が中心を占めています。これらは奈良時代における染織技術の最高峰であり、現在の友禅染や絞り染めのはるかなる祖先にあたる技法でもあります。

また正倉院には衣服そのものも残されています。聖武天皇の御服をはじめ、奈良時代の宮廷装束の現物が今に伝わっていること——これは世界の染織文化史においても、極めて稀有なことです。

また、正倉院の染織遺品が私たちを驚かせる最大の理由の一つが、1300年前の色が今も残っているということです。植物や鉱物から採った染料が、これほどの時間を経てなお鮮やかさを保っているという事実は、当時の染色技術の高さを物語っています。

正倉院の布を見ていると、当時の染め師や織り師たちの技術の高さに改めて驚かされます。臈纈・纐纈・夾纈という三つの染色技法は、それぞれ現代の「ろうけつ染め」「絞り染め」「板締め染め」へと受け継がれています。1300年前の技術が、今も脈々と生きているのです。

文様においても、正倉院の染織品は現代の着物に直接つながっています。宝相華文(ほうそうげもん)・唐草文・鳥獣文・連珠文——これらは正倉院で出会う文様であると同時に、現代の振袖や訪問着、帯の文様として今も使われ続けています。

文様は1300年を超えて、変わらずに人の衣を飾り続けています。

正倉院の服飾から見える、装うという文化
——そして今年、目が離せない宝物

正倉院の宝物を見ていると、奈良時代の人々がいかに「装う」ことに情熱と技術を注いでいたかが伝わってきます。衣服だけでなく、楽器・調度・装身具に至るまで、すべてのものが美しく作られていた。それは単なる贅沢ではなく、美しいものを纏い、美しいものに囲まれて生きることが、人としての誇りであり精神の根幹だったからではないでしょうか。

その感覚は、現代の着物文化と深いところでつながっています。着物を選ぶとき、帯を合わせるとき、半衿の色に迷うとき——私たちは「装う」という行為が持つ豊かさに、無意識に触れているのだと思います。

🦅

第78回 正倉院展 出陳番号9 北倉25

紅牙撥鏤碁子

こうげばちるのきし  聖武天皇御遺愛品

今年、私がどうしても目が離せないのが、聖武天皇の遺愛品として伝わる碁石——赤く染めた紅牙撥鏤碁子(こうげばちるのきし)と、深い藍に染めた紺牙撥鏤碁子(こんげばちるのきし)です。前回の正倉院展での出陳は2005年(奈良)、2019年(東京)以来のことです。

これは、象牙を赤く染め上げ、その表面を刀で「撥ね彫り(はねぼり)」して文様を表した碁石です。象牙の内部には染料が浸透しないため、彫った部分だけが白く浮かび上がる——「撥鏤(ばちる)」という、奈良時代に高度に発達した工芸技法です。

彫り出された文様はヤツガシラとみられる鳥文(とりもん)。さらに文様の一部には緑色と黄色で彩りが加えられており、径わずか1.5〜1.7センチの碁石の上に、驚くほどの精緻さで世界が描かれています。赤く染めた象牙に白く浮かぶ鳥の姿——これほど可憐で、これほど格調高い碁石を、私は他に知りません。

使われた染料は、臙脂(えんじ)その赤は、今も鮮やかに息づいています。聖武天皇が実際に手のひらの上でこの碁石を転がしていたのかと思うと、1300年という時間の重さと、その宝物の生命力に、ただ圧倒される気持ちになります。

着物の文様にも多く使われる鳥文には、古来から”吉祥の文様”として愛されてきました。鶴・鷹・鳳凰・鴛鴦——空を自由に翔ける鳥は、天と地をつなぐ吉祥の使いとして、1300年前も今も、変わらず人の衣を飾り続けています。

紺牙撥鏤碁子

こんげばちるのきし

紅牙と対をなす黒番の碁石。紺牙撥鏤の染料はインド藍と推定されており、撥鏤技法で鳥文などを彫り出したもの。彫刻後に部分的に緑青・茜を点じている。現物は黒に近く見えるが、本来は深い紺色——藍が象牙の表層に染み込んだ、時間の痕跡がそこにある。

紅牙と紺牙、二色の碁石が並ぶとき、そこには赤と藍という日本の染色文化の二大軸が揃う。紅は茜・紅花・臙脂、藍は蒅(すくも)・インド藍——これらは正倉院の時代から今の着物の染めまで、1300年以上途絶えることなく使われ続けてきた色の系譜だ。

紅牙と紺牙の碁石には、花をくわえた鳥文が繊細に描かれており、韓国・慶州にある新羅の王宮の苑池跡「月池」で出土した調度品にも同様の意匠が見られ、7〜8世紀の東アジアで広く共有された文様だったことがわかっている。二つの碁石は、奈良が「シルクロードの終着点」だったことを、その小さな身体で静かに物語っている

今年の正倉院展では、この紅牙撥鏤碁子と対になる紺牙撥鏤碁子(こんげばちるのきし)も同時に展示されます。象牙を藍で染めた紺色の碁石——赤と紺、二つが並ぶとき、奈良時代の色の美意識が目の前に現れます。ぜひ実物でその色と細工をご覧いただきたいと思います。

奈良で着物を扱うということ
——染と呉服はっとりの想いと取り組み

奈良という土地で着物を扱うことは、特別な意味を帯びていると感じています。この地は、正倉院の宝物が1300年守られてきた場所であり、日本の染織文化の最も古い層が今も息づいている場所です。

春日大社の若葉の緑、東大寺の大仏殿を照らす秋の光、吉野の山桜が散る頃の薄紅——奈良の風景は、着物の色の教科書です。1300年前の染め師たちが「美しい」と感じた色と、今私たちが「美しい」と感じる色は、おそらく大きく違わない。人の美意識の核心部分は、時代を超えて続いているのだと思います。

正倉院展の季節になると、いつも思うことがあります。正倉院に収められた布の多くは、かつて誰かが実際に身につけていたものです。聖武天皇の御衣、光明皇后がその手で触れた染織品——それらは「見るための宝物」として作られたのではなく、「生きるための衣」として作られ、使われたものです。

着物も同じです。見るためではなく、着るために作られる。

着る人の体に合わせて仕立てられ、着る人の人生の節目に寄り添い、次の世代の手へと渡っていく。

染と呉服はっとりが四代にわたって続けてきた「着物を三代に渡り継承していく」という取り組みは、この土地にある限り、正倉院の精神と切り離せません。モノを大切に次の世代へ渡す——その営みが、この奈良の地では1300年以上前から連続しているのですから。

正倉院が1300年間守り続けてきたことを、私たちは着物という形で、小さく、でも確かに続けている——そう思うと、この仕事の重みをあらためて感じます。

1300年前の美意識から、今の着物を見る
——正倉院展へ行く前に、着物を纏ってみてほしい

正倉院展に行くなら、ぜひ着物で行っていただきたいと思います。着物を纏ったまま正倉院の宝物の前に立つとき、1300年前の人々と、自分の間の距離が縮まる感覚がある——少なくとも私はそう感じます。

正倉院の染織品に使われていた文様が、今あなたの袖に宿っているかもしれない。臈纈の系譜を引くろうけつ染めの着物かもしれない。纐纈の流れを汲む絞り染めかもしれない。その時、着物はただのおしゃれではなく、1300年の技術の連鎖を身体で纏うことになります。

紅牙撥鏤碁子に彫り出された鳥文——小さな碁石の上に翔ける鳥は、1300年前の職人が込めた「幸運が舞い込む」という祈りを今も運んでいる。着物に描かれた鶴も、帯に織り出された鳳凰も、その祈りの系譜の上にある。美しいものには、時を超える力がある。

着物を選ぶとき、帯を合わせるとき——1300年前の美意識を少し意識してみてください。奈良時代の染め師が選んだ赤は、臙脂(ラック染料)の深みある紅でした。その赤を思いながら、今の帯締めの色を選ぶ。そういう想像力が、着物との付き合いを豊かにしてくれます。

正倉院の宝物 

正倉院展へ着物で行くときの、ひとつの提案:

錦秋の奈良の空気の中を着物で歩き、正倉院の宝物の前に立つ。その日の装いに「鳥文」の帯留め吉祥文様の帯を合わせてみてください。紅牙撥鏤碁子に彫られた鳥と、あなたの着物の文様が、1300年の時を超えて呼応する瞬間があるかもしれません。

着物は、一枚の布の中に時間を纏う装いです。そして正倉院は、人類がどれほど長く美しいものを守り続けてきたかを教えてくれる場所です。その二つが重なる錦秋の奈良——今年も、特別な季節が来ました。

正倉院展の季節に、着物のご相談を

「正倉院展に着物で行きたい」「秋の奈良を着物で歩きたい」「吉祥文様の着物が気になる」——どんなご相談もお気軽にどうぞ。完全予約制にて、奈良の光の中で実際のお着物をご覧いただけます

正倉院展が始まる頃、奈良の空は高く澄んで、春日山の緑が少しずつ深くなっていきます。宝庫の扉が開かれ、1300年の眠りから目覚めた宝物たちが、また一年だけ人の目に触れる——その奇跡のような時間に、今年も立ち会えることの幸せを思います。

染と呉服はっとりは、正倉院の宝物と同じく「物を次の世代へ渡す」という信念の上に立っています。

正倉院が1300年という時間をかけて宝物を守り伝えてきた営みと、私たちが一枚の着物を次の世代へ渡そうとする営みを、同じものだとは言いません。

けれど、「まだ使えるものを、次へ渡す」という日本人の感覚の根には、どこか共通するものがあるように思います。三代先の誰かの手へと渡していく——それが、奈良でこの仕事を続ける意味だと信じています。

どうか今年の錦秋を、着物とともに。正倉院の宝物の前で、1300年という時間の深さに、静かに触れてみてください。

1300年前の染め師が選んだ赤が、
今もあの碁石の上で息をしている。

美しいものは、時を超える。
着物もまた、そのひとつだと
私は信じています。

第78回 正倉院展 公式情報

着物とは何か?|奈良の正倉院裂から学ぶ
女将手帖|着物の着継ぎの本質|家族の祈りを、次の世代へ手渡すこと
着物の柄にはどんな意味がある?季節・文様・格を呉服店が解説|美しき文様の世界
京友禅とは?制作工程を完全解説|図案から仕上げまで|奈良 染と呉服はっとり
着物文化を次世代に残すということ|奈良の呉服店としての使命

着物は素敵だけれど、どうしたらいいの?管理の仕方は?
何から始めればいいのか、さぁ困った。
皆さんお着物を日常にお召しになられないのでこんな疑問は当たり前のことです。
どうぞご相談下さいませ。一緒に考えさせていただきます。
呉服専門店は、そんな皆様の道先案内人となって差し上げます。

奈良県の北西部近鉄線学園前駅徒歩2分。
閑静な高級住宅街で有名な学園北のお屋敷街の中に
ひっそりとたたずむ知る人ぞ知る隠れ家呉服店です。

位置情報・交通案内

お問い合わせ・ご相談はこちら

WEBからのお問い合わせ

お電話でのお問い合わせ

■ 0742-44-1444