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着物とは何か?|奈良の正倉院裂から学ぶ

振袖 正倉院華文 宝尽くし 袋帯

1300年前の布が語る、日本の染織文化の根

着物という言葉は、もともと「着る物」という日本語の一般名詞です。

しかし今日、私たちが「着物」と呼ぶとき、そこには特定の衣の形——T字形の構造を持ち、正絹の生地に染色・織りの文様が施され、帯で腰に結ぶ日本固有の衣装——を指しています。

この着物という衣の文化がどこから来たのか。日本の染織文化の根はどこにあるのか。その問いに対して、奈良という土地は特別な答えを持っています。

奈良・東大寺の正倉院には、8世紀(奈良時代)の染織品が今も保存されています。「正倉院裂(しょうそういんぎれ)」と総称されるこれらの染織品は、1200年以上の時間を経た今も色と織りの美しさを伝えており、日本のみならず世界の染織史において重要な資料として位置づけられています。

この記事では、正倉院裂が伝える奈良時代の染織技術を事実に基づいて解説し、そこから現代の着物文化へとつながる1300年の糸を辿ります。

この記事でわかること

  • 着物(日本の衣)の起源と「着物」という言葉の変遷
  • 正倉院裂とは何か——保存の経緯と歴史的意義
  • 正倉院裂の素材——絹・麻・毛の三種
  • 正倉院裂の織物——錦・綾・羅など
  • 正倉院裂の染色——三纈(さんけち)の技法
  • 正倉院裂の文様——シルクロードが運んだ意匠
  • 正倉院裂から現代の着物文化へ

「着物」とは何か——言葉の意味と衣の歴史

「着物」という言葉の本来の意味

「着物(きもの)」という言葉は、「着る物(きるもの)」が転じたもので、本来は衣類全般を指す日本語です。平安時代には「きぬ(衣)」「ころも(衣)」が衣の一般的な呼び名であり、「着物」という語が今日の意味で使われるようになったのは近世以降のことです。

江戸時代に洋服が日本に入ってきたことで、日本の伝統的な衣装を洋服と区別する必要が生じました。この過程で「着物」という言葉が、T字形構造を持つ日本固有の衣装を指す言葉として定着していきました。

日本の衣の形はいつ生まれたか

現在私たちが「着物」と呼ぶ衣の基本的な構造——直線裁ちで仕立てた身頃・袖・衿を組み合わせ、帯で締める形——は、奈良時代から平安時代にかけて形成されました。

奈良時代(710〜794年)の日本では、中国・唐の衣服制度を取り入れた「養老衣服令(ようろうえふくりょう)」(718年)によって、貴族・官人の衣装が定められました。この時代の衣装は大陸文化の直接的な影響下にありましたが、平安時代以降は独自の「和様化(わようか)」が進み、日本固有の衣の美意識が育まれていきます。

こうした歴史の中で、奈良は日本の衣文化の原点に特別な位置を占めています。正倉院に保存された8世紀の染織品は、その時代の衣の素材・技法・文様を今に伝える、世界的にも稀有な資料群です。

正倉院裂とは何か

正倉院の概要

正倉院(しょうそういん)は、奈良・東大寺の境内に建てられた校倉造(あぜくらづくり)の宝庫です。奈良時代前半の建造と推定されており、1997年に国宝、翌1998年にはユネスコの世界遺産「古都奈良の文化財」の一部として登録されました。

正倉院には聖武天皇(701〜756年)の御遺愛品を中心とした9,000点以上の宝物が収蔵されています。光明皇太后が天平勝宝8年(756年)6月21日、聖武天皇崩御後に遺品を東大寺大仏に献納したことが、正倉院宝物の起源とされています。

正倉院裂とは

正倉院に収蔵されている染織品を総称して「正倉院裂(しょうそういんぎれ)」と呼びます。これらは8世紀の中頃(天平時代)に、平城京の宮廷で用いられたり、東大寺の斎会・儀式に供せられたり、貴族によって東大寺に納められた染織品です。

正倉院裂の染織品が史上初めて一般に公開されたのは、大正14年(1925年)に奈良帝室博物館で開催された「正倉院宝物古裂類臨時陳列」においてでした。それ以来「正倉院裂」という名が広く知られるようになりました。

史料より 正倉院の染織品の本格的な整理事業は大正3年(1914年)から奈良帝室博物館正倉院掛において開始され、現在も完了していない継続中の事業です(宮内庁正倉院事務所の研究資料より)。

正倉院裂の規模と内容

正倉院の染織品は十数万点にのぼるとされています。奈良時代の服飾・調度に供せられたものであり、日本上代染織工芸を代表する貴重な資料です。

また京都国立博物館には、正倉院裂のうち86裂が収蔵されており(文化遺産オンライン)、正倉院本院以外にも分蔵されている例があります。

正倉院裂の素材——絹・麻・毛

正倉院裂の染織品は、素材の種類から大きく三つに分けられます。

史料より 正倉院裂という染織品は大部分が絹織物と麻織物と羊毛製の氈(せん)です(山田繊維株式会社の商品資料より)。

絹(きぬ)

正倉院裂の中で最も優れた染織品は絹織物です。蚕の繭から引いた絹糸で織られた絹織物には、錦・綾・羅・絁(あしぎぬ)など多様な種類があります。

正倉院の絹織物は、中国・唐代の高度な染織技術を示す資料として、日本のみならず世界的に評価されています。その文様には「ペルシャ・唐文化が伝えられている」(山田繊維株式会社の資料)ほど、国際色豊かな意匠が反映されています。

麻(あさ)

正倉院裂には麻織物も多く含まれます。麻は古代日本において広く用いられた植物繊維で、農民の日常着から宮廷の調度品まで幅広く使われました。

正倉院には藍染された麻紐「縹縷(はなだのる)」が現存しており、この紐は天平勝宝4年(752年)の東大寺大仏の開眼供養会に用いられたとされています。

羊毛(ようもう)——花氈

正倉院には羊毛製の敷物「花氈(はなせん)」が収蔵されています。繊維調査の結果、この花氈の材質は中央アジア産の古代ヤギの毛を用いたものであることが判明しており、中にはコーカサス地方で生産されシルクロードを経て日本に運ばれたと考えられるものもあります。

また花氈の中から中央アジア産のウマゴヤシの実が混じり込んだままになっていたことも確認されています(Wikipedia「正倉院」の記載より)。これらの事実は、正倉院が文字通りシルクロードの終着点であったことを物語っています。

正倉院裂の織物——錦・綾・羅

正倉院裂の絹織物は、織りの技法によっていくつかの種類に分けられます。その代表が錦・綾・羅です。

錦(にしき)

錦は多色の糸で文様を織り出した豪華な絹織物で、最も格の高い織物として位置づけられます。

錦には「経錦(たてにしき)」と「緯錦(よこにしき)」があります。経錦は多色の経糸によって文様を表したもので、中国では戦国時代(前5〜前3世紀)から隋・唐代初期まで行われた古い技法です。一方、緯錦は多色の緯糸によって文様を表したもので、唐代以降に隆盛しました。

正倉院に伝世する経錦の作例は「概して小柄で古様な趣のもの」が多いのに対し、緯錦には「雄渾で華麗な中国盛唐の錦文様を伝えるものが多くみられる」(平凡社「世界大百科事典」より)とされています。代表的な緯錦の作例として「浅縹地大唐花文様錦」「連珠狩猟文様錦」が挙げられます。

綾(あや)

綾は斜文織りの絹織物で、経糸と緯糸が斜めに交差することで光沢と地紋が生まれます。正倉院には多数の綾が収蔵されており、その文様研究が日本の古代染織研究の重要な柱のひとつとなっています。

羅(ら)

羅は縦糸4本を1組にして絡めながら織った、目の粗い薄手の透け感のある絹織物です。

その歴史は古く、正倉院に現存する裂から飛鳥時代には織られていたことが確認されています(京都染織文化協会の資料)。奈良時代には籠目状の粗い地組織に網目状の細かな組織で模様を表した「紋羅」が主流でした。羅は通気性に富み、夏向きの織物として用いられました。

織物の種類特徴
錦(にしき)多色糸で文様を織り出す。経錦と緯錦がある。最高格の絹織物
綾(あや)斜文織りの絹織物。光沢と地紋が特徴
羅(ら)縦糸4本を1組に絡めた透け感のある薄地。夏向き
絁(あしぎぬ)粗い絹の平織物。一般的な絹織物

正倉院裂の染色——三纈(さんけち)

正倉院裂の染色技法の中で特に注目されるのが「三纈(さんけち)」と呼ばれる三種の防染技法です。臈纈(ろうけち)・夾纈(きょうけち)・纐纈(こうけち)の三つを合わせてこう呼びます。

これらは飛鳥・奈良時代に中国・唐から伝来した染色技法で、正倉院裂にその遺品が残っています(京都国立博物館の資料)。

臈纈(ろうけち)——蜜蠟による防染

臈纈は蜜蜂が巣を作るために分泌する「蜜蠟(みつろう)」を生地に塗布し、染料液に浸けても染まらない部分を作ることで文様を表現する技法です。現代の「ろうけつ染め」の原型にあたります。

正倉院には多数の臈纈の裂が見られますが、注目すべき事実があります。臈纈技法は正倉院裂を最後に、近代に至るまで日本では途絶えてしまいます。原料となる蜜蠟を輸入に頼っており、遣唐使の廃止とともに交易が絶たれたことがその理由として挙げられています(文化遺産オンラインの記載)。

史料より 「正倉院には多数の臈纈が見られるが、これを最後に、近代に至るまで臈纈技法は途絶えてしまう。原料となる蜜蠟を輸入に頼っており、遣唐使の廃止とともに交易が絶たれたことが理由として挙げられている」(文化遺産オンライン「正倉院裂 赤地立木天蓋文臈纈平絹」より)。

夾纈(きょうけち)——板で挟む防染

夾纈は「夾」が「挟む」という意味を持つ通り、文様を彫った二枚の板の間に布を強く挟み込み、染料液に浸けることでその挟んだ部分を染まらないようにする技法です。板締め染の古代技法にあたります。

正倉院の夾纈には多色の複雑な文様を表したものがあり、遺例が多く、多彩で大型の文様を作れることが特徴です。左右対称形の文様が多く見られるのは、布を二つ折りにして板に挟んで染めたことによるものです。

多色の夾纈について、「複数の色を染めるためには布を何度も染液に浸す必要があり、多色の複雑な文様をずれや滲みもなく染める技法は長年謎とされていた」が、1970年代になってインドのアーメダバードで板締め染に使用する板の実物が発見されたことで、その製法がほぼ解明されました(Weblio辞書「夾纈」より)。

夾纈は平安時代には「忘れられた存在になったと考えられる」(iroai.jpの資料)とされています。

しかし、5年前実際に夾纈職人によって作られた袋帯を見た時、その当時で職人が一人残っているだけで事実上その方で途絶える・・とお聞きしました。作品として10本ほどでした。現在は袋帯としても1本残っていれば良いところでしょう。それほど希少価値の高い物なのです。絞りの技法のおぼろげな美しい色の袋帯ばかりで感動したことを今でもはっきり覚えています。

纐纈(こうけち)——絞り染めの原型

纐纈は現代の絞り染めにあたる技法です。生地を縫い絞ったり糸でくくったりすることで、その部分を染料液に浸けても染まらないようにし、文様を作り出します。現代の「鹿の子絞り」「疋田絞り」の原型です。

正倉院の纐纈の遺品は約20種あり、夾纈の約100種・臈纈の約60種に比べると遺例は少ないですが、絞り染めという技法が奈良時代から存在していたことを示す重要な資料です。

技法名防染の方法現代との対応・遺品数
夾纈(きょうけち)文様を彫った板で布を挟む(板締め染)約100種の遺品。平安時代以降に途絶
臈纈(ろうけち)蜜蠟を塗布して防染(ろうけつ染め)約60種の遺品。遣唐使廃止後に途絶
纐纈(こうけち)生地を絞ってくくる(絞り染め)約20種の遺品。現代の絞り染めに継続

正倉院裂の文様——シルクロードが運んだ意匠

文様の国際性

正倉院裂の文様は、中国・唐の意匠を中心に、さらにその背後にペルシャ(ササン朝)・西アジアの影響を受けたものが多く見られます。これは正倉院がシルクロードの東の終着点であったことを如実に示しています。

代表的な文様には次のようなものがあります。

  • 連珠円文(れんじゅえんもん) 小さな玉を連ねた縁で囲んだ円の中に、獅子・騎馬人物・鳥獣などを配した文様。古代ペルシャで作り出され、奈良時代に日本に伝わった(和裁・着物文化関係資料より)
  • 花喰鳥(はなくいどり) 花をくわえた鳥の文様。鸚鵡・鳳凰・鴛鴦(おしどり)・長尾鶏・鶴などが描かれる
  • 宝相華(ほうそうげ) 実在しない架空の花を図案化した文様。意匠のあらゆるところに取り上げられ、人々の寿福を願う心を表すとされる
  • 葡萄唐草(ぶどうからくさ) 蔓が次々と伸びる文様。生命の終末のない喜びと豊饒の願いが込められているとされる
  • 狩猟文(しゅりょうもん)・樹下動物文 動物に人や草花を組み合わせた文様。大陸・西域的な意匠

文様の「和様化」

正倉院裂の文様は、奈良時代における大陸文化受容の最高峰を示しています。しかしその後、日本は遣唐使の廃止(894年)を経て、大陸文化を消化しながら独自の「和様化」を進めていきます。

シルクロードを渡って奈良にたどり着いた文様は、日本の風土・美意識の中で変容し、平安時代以降には有職文様として体系化されます。桐・鳳凰・亀甲・七宝・唐草——現代の着物や帯に使われるこれらの文様の多くは、正倉院裂が伝える奈良時代の文様の系譜を引いています。

現代の西陣織の帯に使われる「正倉院文様」は、龍村美術織物をはじめとする機屋が正倉院裂を研究・復元して生み出したものです。奈良国立博物館の正倉院展に、正倉院文様の帯を締めて訪れるとき、展示ケースの中の正倉院裂と腰の帯の文様が同じ系譜でつながっています。

正倉院裂から現代の着物へ——1300年の染織の連続性

途絶えた技法・受け継がれた技法

正倉院裂の染色技法を辿ると、奈良時代以降に途絶えたものと、現代まで受け継がれたものに分かれることがわかります。

臈纈は遣唐使廃止後に途絶え、夾纈は平安時代に忘れられました。しかし纐纈(絞り染め)は形を変えながら日本の染色文化の中に生き続け、現代の「京鹿の子絞り」「疋田絞り」へとつながっています。

一方、織物の技法は途絶えずに継承されました。奈良時代の錦・綾・羅という織物の技法は、西陣織をはじめとする日本の絹織物産業の中に生き続けています。特に羅は「現代ではほとんど製作されていないが、通気性に富み、夏の着物として好まれている」(京都染織文化協会の資料)という現代においても、わずかながら継承されています。

着物文化の根としての奈良

奈良は日本の着物文化の根を持つ土地です。

8世紀に大陸から伝来した染織技術が正倉院に収められ、それが平安時代以降の日本独自の染織文化の土台になりました。現代の友禅染・西陣織・綴帯・刺繍——これらの技法すべての遠い源流が、奈良時代の染織技術にあります。

奈良の呉服店として長年着物に携わってきた立場から言えば、着物を纏うことは1300年以上続く染織文化の連続性の中に自分を置くことです。正倉院展で正倉院裂を前にするとき、その布が伝えているのは色や文様だけではありません。布を作ることへの人間の根源的な意志と、美への飽くなき追求が、1300年の時間を超えてそこにあります。

——着物とは、人が布に込めてきた時間

着物とは何か——この問いに対して、正倉院裂は静かに答えています。

着物は「着る物」という日本語の一般名詞から生まれた言葉ですが、その背後には、8世紀から現代まで続く染織文化の厚みがあります。シルクロードを渡ってきた素材と技法が奈良に集まり、日本の土地と美意識の中で育まれ、1300年の時間をかけて現代の着物文化として花開きました。

  • 正倉院裂の素材 絹・麻・羊毛。最高品質の絹織物に大陸の技術が凝縮
  • 正倉院裂の織物 錦・綾・羅。現代の西陣織の遠い祖先
  • 正倉院裂の染色 三纈(臈纈・夾纈・纐纈)。途絶えたものと現代に継続するもの
  • 正倉院裂の文様 シルクロードを経た大陸・西域の意匠が日本で和様化

現代の着物を選ぶとき、この長い時間の連続性を知ることは着物との付き合い方を豊かにします。

奈良の老舗呉服店として、この文化の連続性の一端を担っていることを誇りに思っています。

着物の文化・歴史・選び方についてのご相談は、ぜひ当店へお越しください。

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どうぞご相談下さいませ。一緒に考えさせていただきます。
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