母から娘へ着継ぐ京友禅のたたき染め訪問着|四十数年の時を整える汗抜き・丸洗い・カビ処理の記録

四十年以上前に誂えられた京友禅たたき染めの訪問着を、娘へ着継ぐためにお手入れした事例をご紹介します。
今回お預かりしたのは、遠方からお越し下さったお客様が大切に保管されてきた一枚。「結婚したばかりの娘に、この京友禅を晴れの日に着せてあげたい」という想いとともに、お手入れ(汗抜き・丸洗い・カビ処理)のご依頼をいただきました。
この訪問着は、蝋たたき染めの地色を背景に絞りの立体感や京友禅手描きの花々や吉祥文様が特徴の、とても繊細で価値ある一枚です。 そのお着物を、次の世代へ安心して手渡せる状態に整えるために、女将として丁寧に工程を進めました。
蝋たたき染めの訪問着とは|特徴と価値
蝋たたき染めとは、刷毛(はけ)を使って蝋を散らして防染し、まだら模様(たたき染め)に仕上げる技法で、深みと味わいのある独特な背景を生み出します。時に絞りも加えながら模様を表す、一つひとつの手描きに作家の手間がかけられた、大変貴重な技法です。広げてみると、四十年の時を経てもなお、染めの立体感と、精緻な絵筆で描かれた花々や吉祥文様の繊細な表情がそのまま残っていました。
「松井青々の作品」として誂えられた、四十年以上の時を経た一枚を、お母様がお嬢様へ手渡そうとされている。私たちはその橋渡しの、ほんの一部を担わせていただきました。
松井青々について
松井青々(まつい せいせい)は、独自の「タタキ染め」による深みのある地色と、斬新で優美な構図で知られる京友禅の代表的なきもの作家です。初代から三代にわたり、最高峰の染繍(そんしゅう)技術を受け継ぐ名匠として着物ファンから高く評価されています。
今回のご依頼——着継ぎに必要なお手入れ|汗抜き・丸洗い・カビ処理
お客様からのご依頼は、訪問着本体の汗抜きと丸洗い、そしてカビの処理でした。四十年という時間の中で、目には見えないけれど確かに積もっている汗や埃を、丁寧に取り除いてから、お嬢様の手にお渡ししたいという、お母様の深いお気持ちが伝わってまいりました。
先ずは、着物の状態、これまでの着用回数、保管状況などを詳しくお聞きしました。大切な一枚を実際に拝見する前から、すでに「どんな想いで届けられた着物か」を、私たちなりに想像しながら準備を進めておりました。
お手入れ工程|生地を傷めない為に
お預かりした訪問着と長襦袢は、それぞれ次のような手順でお手入れを進めました。
- 汗の部分を見極め、手作業で汗抜きまず訪問着全体を広げ、汗が溜まりやすい衿元、脇、背中などを中心に、汗じみの兆候がないか丁寧に確認します。見つかった箇所には、その部分に合わせた専用の処理を手作業で施し、汗の成分を丁寧に分解・除去していきます。これは全体洗いだけでは取りきれない、部分的な汚れに向き合うための工程です。
- カビの部分を手作業でカビ取りを行います。完全に取り切れない部分もありますが、出来る限り生地を傷めないように丁寧に処理を進めて行きます。落ちきれず目立つカビは染色補修をします。
- 全体の丸洗いで、積もった埃や汚れを落とす部分的な汗抜きが終わったあと、着物全体に丸洗いを施します。これは生地を傷めない専用の溶剤を使い、四十年という時間の中で繊維の奥に入り込んだ埃や、目に見えない皮脂汚れを落とす工程です。たたき染めの立体感を損なわないよう、慎重に作業を進めます。
- 長襦袢も同様に、汗抜きと丸洗いを訪問着の下に着る長襦袢も、同じように汗の気になる部分を手作業で処理したあと、全体を丸洗いします。長襦袢は直接肌に触れるものですので、特に丁寧な確認が必要な工程です。
- 衿は私自身の手で——洗い、プレスし、職人へ長襦袢の半衿部分は、今回特別に私が手洗いいたしました。長年お使いになった半衿ですが、洗えばまだ使えます。半衿を丁寧に手洗いし、糊気と風合いを整えてからプレスをかけ、その状態で仕立てを担う職人へ託しました。お嬢様が初めて袖を通すときに、衿元から清々しい印象を感じていただけるように、という思いを込めた工程です。
作業を終えて
四十年の時間を、静かに洗い流す
すべての工程を終えた訪問着は、絞りの立体感がより鮮明になり、心なしか色そのものも澄んで見えるようになりました。長襦袢も気持ちよく洗った半衿に替わり、これから先の何十年かを支える準備が整いました。
お手入れというのは、決して「新品に戻す」作業ではありません。これまで重ねてきた時間を大切に残しながら、これから先の時間に向けて、着物を整えてあげる作業です。友禅と絞りの一つ一つに、四十年前のお母様の選択と、これから始まるお嬢様の物語の両方が、静かに重なって見えました。
着継ぎの意味|母から娘へ受け継ぐ想い
結婚されたばかりのお嬢様に、お母様がこのお着物をお譲りになる。そのお気持ちを想像すると、胸が静かに熱くなります。
四十数年前、お母様がこの訪問着を選ばれたとき、まだお嬢様はずっと幼かったはずです。それから長い年月が流れ、お嬢様は結婚という新しい人生の節目を迎えられました。その節目に、お母様は自分の着物を譲るという形で、言葉にはできない想いを贈ろうとされています。
「これから、あなたの晴れの日にも、この着物が寄り添いますように」——そういう願いが、お着物のお手入れのご依頼の一つひとつに、静かに込められているように感じました。お母様は単に着物をきれいにしてほしいと思われたのではなく、これからお嬢様が歩む人生の節目に、安心して袖を通せる状態にして渡したい、と願われたのだと思います。
着物は、時間をまたいで気持ちを届けることができる。
四十数年前の母の選択が、今、娘の未来へと手渡されていく。― 今回のお手入れを通して感じたことです。
女将の視点|着継ぎのお手入れで大切にしていること
女将手帖より
お手入れのご依頼をいただくとき、私たちはいつも「ただ汚れを落とす」という以上の意味を、その作業に見出しています。今回のように、母から娘へ着継がれる着物のお手入れは、まさに「贈り物の準備」そのものです。
汗抜きも、丸洗いも、カビ処理も衿替えも、それぞれは技術的な工程です。けれど、その一つひとつの手順の奥に、誂え主の想いや、これから着る方への願いがあることを忘れずに作業をすることが、当店が大切にしていることです。
遠方からわざわざお越しくださったお客様には、直接お話を伺えるからこそできる準備があります。実際に着物を広げ、お顔を見ながらお気持ちをお聞きすることで、お電話や文面だけでは見えてこない細やかなご希望にも気づくことができます。今回のお客様の「娘に譲りたい」という一言とそのときの表情に、私たちはできる限りの心を込めてお応えしたいと思いました。
着物を引き継ぐということは、単に布を受け渡すことではありません。その布に込められた時間と想いを、次の世代が安心して受け取れる状態に整えること——それが、私たちお手入れを担う者の、本当の役目だと思っています。
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この先、お嬢様が初めてこの訪問着に袖を通される日が来ることを思うと、私たちもまた、その日を心待ちにしています。
お母様の選んだ一枚が、お嬢様の新しい人生の晴れの日を、これからも静かに照らしてくれますように。そして、いつかまたその先の世代へと、この着物の物語が続いていきますように。心からそう願っております。
大切な着物を、大切な方へ譲る前に。汗抜き、丸洗い、カビ処理、衿替え——そうした一つひとつのお手入れは、贈る方の想いを、より丁寧に届けるための準備だと私たちは考えています。
遠方にお住まいの方からのご来店も、これまで多く承ってまいりました。実際に着物を広げ、お顔を見ながらお話しいただくことで、より丁寧に状態を確認し、想いを込めてお手入れさせていただけます。母から娘へ、祖母から孫へ——着継ぎをお考えの方は、どうぞお気軽にご相談ください。ご予約のうえ、ゆっくりお話を伺います。
着継ぎのためのお手入れ、ご相談はお気軽に
汗抜き・丸洗い・衿替え・シミ抜き——
大切な着物を、大切な方へ譲る前に。
解き洗い張り・仕立直し・寸法直し・シミ取り・カビ抜き(カビ処理)・汗抜きなど長年にわたりお客様の着物のお世話を続けてきた老舗ならではの細かく行き届いたお手入れをご提供させていただきます。
遠方からお越しの方も、ご予約のうえじっくりご相談いただけます。
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