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京繍(きょうぬい)について|着物を彩るあでやかな日本刺繍の技法と歴史

付下げ京刺繡菱華文 |染と呉服はっとり

一針一針が紡ぐ、布の上の絵画

着物の衿元に咲く一輪の梅の花。

振袖の袖を流れる波と鶴。

黒留袖の裾に広がる松と金の雲——これらの美しさの一端を担っているのが「刺繍(ししゅう)」です。

刺繍は染色と並んで着物の文様表現の二大技法のひとつですが、染色が「布に色を染み込ませる」技法であるのに対し、刺繍は「布の上に糸で絵を描く」技法です。

絹糸・金糸・銀糸を針で布に縫い付けることで生まれる立体的な文様は、染色では決して作れない独自の輝きと奥行きを持ちます。

その中でも「京繍(きょうぬい)」は、千年以上の歴史を持つ京都の刺繍の伝統であり、日本の刺繍技術の最高峰として位置づけられます。

国の伝統的工芸品に指定され、人間国宝を輩出してきた京繍の世界を、奈良の老舗呉服店が専門家の視点から詳しく解説します。

この記事でわかること

  • 京繍とは何か——定義・歴史・日本刺繍との関係
  • 京繍の素材——絹糸・金糸・銀糸の種類と役割
  • 京繍の主要な技法——16種以上の縫い方の世界
  • 京繍の制作工程——下絵から仕上げまで
  • 着物における京繍の役割——どこに使われるか
  • 人間国宝・著名な京繍作家の系譜
  • 京繍と加賀繍・江戸繍との違い
  • 京繍の帯・着物を選ぶときの見方

京繍とは何か——定義と本質

「京繍」の定義

京繍(きょうぬい)とは、京都で制作される日本刺繍の総称です。正絹の生地に絹糸・金糸・銀糸・金箔糸などを使い、手縫いで文様を表現する伝統工芸です。1976年(昭和51年)に経済産業省(当時・通商産業省)の「伝統的工芸品」に指定されています。

「京繍」は特定の一つの技法を指すのではなく、京都で伝承されてきた日本刺繍の技法体系の総体です。平刺繍(ひらぬい)・相良繍(さがらぬい)・すが繍・駒繍など十数種以上の縫い方を組み合わせ、一つの作品を仕上げます。

刺繍と染色——二つの文様表現の違い

着物の文様には「染め(染色)」と「繍(刺繍)」という二つの表現方法があります。この二つの本質的な違いを理解することが、京繍の価値を理解する出発点です。

比較項目染色(友禅など)刺繍(京繍)
文様の作り方染料を布に染み込ませる糸を針で布に縫い付ける
立体感平面的(布と一体)立体的(糸が盛り上がる)
光の反応布全体で光を受ける糸の角度で光が変化する
修正の可否染め直しは困難解いて縫い直せる
表現の限界細い線・グラデーションが得意立体・光沢・質感の変化が得意

刺繍の最大の優位性は「立体感と光の変化」です。例えば桜の花びらを刺繍で表現するとき、職人は花びらの中心から外縁にかけて糸の方向を微妙に変えます。この糸の方向の変化が光を受ける角度を変え、花びらの丸みと陰影が布の上に生まれます。写真ではなく「彫刻に近い絵画」——それが刺繍の本質です。

京繍の歴史——1400年の針と糸

日本における刺繍の歴史は飛鳥時代にまでさかのぼります。593年に摂政となった聖徳太子が仏教振興のために刺繍仏像を制作させたとされる「天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう)」は、奈良・中宮寺に現存する日本最古の刺繍作品のひとつです。

奈良時代には正倉院に収められた多くの染織品の中に刺繍が含まれており、大陸から伝来した高度な刺繍技術が日本に根付いていたことがわかります。平安時代には宮廷文化の中で貴族の衣装・調度品への刺繍が発展し、「日本刺繍」としての独自の技法が形成されていきます。

室町時代から安土桃山時代にかけては、能装束・打掛・陣羽織などへの豪華な刺繍が隆盛を極めます。特に豊臣秀吉・徳川家康の時代には、権力と財力を示す手段として刺繍が政治的な意味を持つほどの重要性を持ちました。

江戸時代に入ると京都の西陣を中心に刺繍師が組合組織を形成し、技術の体系化と継承が進みます。この時代に現代の京繍の技法の多くが確立されました。

天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう)——聖徳太子の妃・橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が太子の没後に極楽浄土の様子を刺繍で表現させたとされる作品。現存する部分は国宝に指定されており、飛鳥時代の精緻な刺繍技術の証言者です。日本の刺繍文化の原点がここにあります。

京繍の素材——糸が持つ表情と光

絹糸(きぬいと)——京繍の主役

京繍の主素材は正絹(100%絹)の糸です。蚕の繭から引いた絹糸の特性——しなやかさ・光沢・染料の発色の良さ——が京繍の美しさの基盤です。

刺繍に使う絹糸は「刺繍糸(ししゅうし)」として撚りをかけた状態で使いますが、京繍では用途によって撚りをほどいて極細の糸で刺繍の方向・強さを使い分けます。

  • 強撚糸(きょうねんし) 撚りが強い糸。コシがあり線描きのような細い表現に向く。輪郭線・茎・細い枝の表現に
  • 弱撚糸(じゃくねんし) 撚りが弱い糸。柔らかくふっくらした面の表現に向く。花びら・葉の面積部分の表現に
  • 糸割り(いとわり) 一本の刺繍糸をさらに細く割いて使う技法。最も細い線・グラデーションの表現に。京繍の精緻さはこの糸割りの細かさが支えている

金糸・銀糸——光を縫い込む技術

京繍において金糸・銀糸は、着物に格調と輝きを与える最重要の素材です。金糸の品質が京繍の価値を大きく左右します。

  • 本金糸(ほんきんいと)・引箔糸(ひきばくいと) 和紙に純金箔(22〜24金)を貼り、細く切って糸状にしたもの。見る角度によって輝きが変化する動的な光が特徴。経年しても変色しない
  • 銀糸(ぎんいと) 和紙に銀箔を貼った糸。金糸より落ち着いた輝き。雪・月・水・白梅などの表現に
  • 金(ゴールド)化学糸 アルミ箔・ポリエステルに金色加工したもの。安価だが光沢が人工的で経年変色しやすい

職人の言葉 本金糸を使った刺繍と化学金糸の刺繍は、同じ「金の刺繍」でも触れると違いがわかります。本金糸は和紙が下にある分わずかに温かみがある。化学糸は金属的なひんやり感が残る。この差が着物全体の格に出ます。

その他の特殊糸——京繍の表現を広げる素材

  • 駒糸(こまいと) 金糸・銀糸を細いカセに巻いたもの。布に縫い付けず表面に沿わせて固定する「コマ繍」に使う
  • 撚り金(よりきん) 絹糸に金箔糸を撚り合わせた糸。金糸の輝きと絹の柔らかさを組み合わせる
  • 鑻子(びやす)糸 特殊な加工を施した金属光沢の糸。アクセントとして使う
  • 孔雀糸(くじゃくいと) 孔雀の羽根の青緑色の光沢を模した特殊な絹糸。特別な作品に使われる

京繍の技法——16種の縫い方が作り出す世界

京繍には十数種類以上の縫い方(技法)があり、表現したい形・素材感・光の効果に応じて使い分けます。一つの作品の中で複数の技法を組み合わせることで、染色では到達できない豊かな表現が生まれます。

ここでは主要な技法を解説します。

平繍(ひらぬい)——最も基本の技法

平繍は布の上を糸が平行に並ぶように縫う、刺繍の最も基本的な技法です。「サテンステッチ」に相当します。糸が均一に並ぶことで光沢のある滑らかな面が生まれ、花びら・葉・川など広い面積の表現に使われます。

一見シンプルですが、糸を完全に均一・平行に縫うことは高度な技術を要します。糸の張力が不均一になると光の反射にムラが生じ、全体の美しさが損なわれます。

職人の言葉 平繍の糸一本一本の間隔は、髪の毛の太さほどです。一センチの中に何十本という糸を並べる。それが均一でなければ光がバラバラに反射して美しく見えない。単純に見えて、最も地味で最も難しい技法が平繍だと思います。

相良繍(さがらぬい)——粒々の質感

相良繍は糸を小さなループ状に布から引き出し、その根元を固定することで丸い粒(コブ)を作る技法です。完成すると生地の表面に無数の丸い粒が並び、梅の花の花芯・藤の花・草の実など自然の質感を立体的に表現するのに最適です。

一粒一粒を均等な大きさで整然と並べる作業は根気を要し、職人の均一性への意識が問われます。相良繍が施された着物は、触れると独特のザラザラとした粒の感触があります。

駒繍(こまぬい)——金糸の最高表現

駒繍は金糸・銀糸を布の表面に沿わせながら、別の細い絹糸で固定していく技法です。金糸は布を通さず表面を「渡る」ため、金糸本来の輝きが最大限に発揮されます。

「駒(コマ)」とは、金糸を巻いたカセのことです。職人が駒を転がしながら金糸の向きを調整し、もう一方の手で固定糸を刺していく——この二つの手の協調作業が駒繍の核心です。

金糸を固定する間隔・固定糸の色・金糸の向きが、完成した駒繍の光の質を決定します。優れた駒繍は見る角度によって光の方向が変化し、「動く光」の効果を生み出します。

駒繍の金糸は布を通らないため、裏面に金糸が出ません。これが「表から見たとき最も美しい金の輝き」を生み出す理由です。布に縫い込む金糸(刺し繍の金糸)は布の厚みで光が屈折しますが、駒繍は表面を走る金糸が直接光を受けます。

切り継ぎ繍(きりつぎぬい)——布と刺繍の融合

切り継ぎ繍は、別の生地(金欄・錦・染め布など)を文様の形に切り抜き、その輪郭を刺繍の糸で布に縫い付ける技法です。刺繍と布の組み合わせが生み出す豊かな素材感が特徴です。

  • 用途 能装束・打掛など格の高い衣装の文様に多く使われる
  • 特徴 切り抜いた布の素材感(金欄の光沢・錦の多色)と刺繍の組み合わせが豊かな表情を生む

縒り繍(よりぬい)——糸の縒りが作る線

縒り繍は複数の糸を縒り合わせた状態で布に縫い付ける技法です。縒り糸の凹凸が独特の立体感と光の陰影を生み出し、幹・枝・岩・波などの硬い素材感や細い線の表現に向きます。

肉入り繍(にくいりぬい)・肉繍(にくぬい)——最高の立体感

肉入り繍は、刺繍する部分に綿(わた)・薄い紙などの詰め物をしてから刺繍することで、文様を高く盛り上がらせる技法です。完成した刺繍は布の表面から明らかに膨らんで見え、まるで布の上に彫刻があるような最高の立体感を生み出します。

振袖・打掛・能装束の花・鶴など、特に目立つ部分に使われることが多く、一点に職人の最高の技術を注ぎ込む箇所です。

職人の言葉 肉入り繍の詰め物の量と形は職人の感覚だけが頼りです。花びらの膨らみはどれくらいか・中心は高く外縁は薄く——これを指の感触と目で判断する。型も道具もありません。指先で形を作る感覚は、彫刻家の仕事に近いと思っています。

その他の主要技法

  • 纐纈繍(こうけちぬい) 染め技法の纐纈(絞り染め)を刺繍で模倣した技法。丸い点の集合で面を表現
  • 縫い箔(ぬいはく) 金箔・銀箔を布に貼り付け、その上に刺繍を重ねる技法。刺繍と箔の組み合わせ
  • 刷毛目繍(はけめぬい) 刷毛で描いたような毛羽立ちのある刺繍。動物の毛・羽根の表現に
  • 割り繍(わりぬい) すでに縫った糸の間を割るように新たな糸を通す技法。細かい模様の微調整に
  • 蒔絵繍(まきえぬい) 蒔絵の技法を刺繍で表現。金銀の粉を散らしたような効果
  • 紋繍(もんぬい) 家紋を刺繍で表現したもの。縫い紋とも呼ばれる

技法と着物への使い方——一覧

技法名特徴主な使用箇所・表現
平繍(ひらぬい)光沢のある平滑な面花びら・葉・川・空など広い面積
相良繍(さがらぬい)丸い粒の集積花芯・実・草木の粒々
駒繍(こまぬい)金銀糸の最高輝き輪郭線・装飾線・格調ある文様の縁
肉入り繍(にくいりぬい)最高の立体感主役の花・鶴など特に目立つ箇所
縒り繍(よりぬい)縒り糸の立体的な線幹・枝・岩・波の硬い素材感
切り継ぎ繍布と刺繍の組み合わせ能装束・打掛の豪華な文様
縫い箔(ぬいはく)箔+刺繍の重ね振袖・訪問着の格調ある装飾

京繍の制作工程——針が布に降りるまで

工程1:図案設計

京繍の制作は図案の設計から始まります。どんな文様を・どの技法で・どんな糸の色で表現するか——これらを総合的に設計する工程です。

京繍の図案師または刺繍師自身が、完成した刺繍の立体感・光の反射・糸の方向の美しさまで頭の中でシミュレーションしながら図案を作ります。「刺繍になったとき最も美しく見える図案」は、刺繍の技法を熟知していなければ描けません。

工程2:白描(はくびょう)・転写

決定した図案を布に転写します。青花(あおばな)——ツユクサの花から取った水溶性の青い染料——を使って図案の輪郭を布に描きます。青花は後の水洗いで完全に消えるため、完成した刺繍に下絵の痕跡は残りません。

転写の精度が刺繍全体の完成度を左右します。特に複数の色・技法が組み合わさる複雑な図案では、どこにどの技法を使うかを細かく決めてから転写する必要があります。

工程3:糸の色合わせ(糸選び)

転写が終わると、使用する糸の色を決めます。これは京繍の仕事の中で最も創造的な工程のひとつです。

自然の花を見て「この花びらの色に最も近い糸はどれか」を選ぶのではなく、「光の当たり方・糸の方向・技法によってどう見えるか」を総合的に計算して糸を選びます。同じ赤でも、平繍に使う糸と縒り繍に使う糸では、撚りの強さと光の反射が異なるため、色の見え方が変わります。

職人の言葉 糸の色は五百色以上ある中から選びます。でも最終的な色選びは理屈ではなく「感」です。何十年も糸を見てきた目が、刺繍になったときの色を先に見ている。糸選びで一日過ごすこともあります。

工程4:刺し枠への張り込み

布を「刺し枠(さしわく)」と呼ばれる木枠に張ります。布が均一な張力で張られていないと、刺繍の仕上がりが歪みます。特に大きな着物の場合、刺繍する部分を枠に収めながら、枠の外の部分の布を痛めないよう慎重に扱います。

工程5:刺繍の実作業——針を降ろす時間

いよいよ刺繍の実作業です。職人は刺し枠の前に座り、針と糸を使って一針一針文様を縫い上げていきます。

刺繍の実作業では、目と指だけでなく体全体を使います。布への針の角度・糸の引く強さ・糸を布に固定するときの力加減——これらはすべて職人の体の感覚が制御します。「力を抜きすぎると糸が浮く・強すぎると布が歪む」この加減は言葉で教えられない身体知です。

一日の刺繍時間は多くの職人で4〜6時間程度です。それ以上続けると目の疲れと集中力の低下で、糸の配置に誤差が生じます。京繍の職人は「一針の精度を保てる時間」を大切にします。

刺繍速度の実際

京繍の最高峰——肉入り繍と駒繍を組み合わせた振袖の刺繍は、熟練の職人が一日4〜5時間作業を続けても、一日に進む面積は数センチ角程度です。一枚の振袖の刺繍を完成させるのに、数ヶ月〜一年以上を要することは珍しくありません。

京繍の振袖を着たとき、衿元や袖に施された数センチの刺繍に数時間の職人の時間が詰まっています。「重さ」を感じるのは着物の生地の重さだけでなく、その中に埋め込まれた職人の時間の重さかもしれません。

工程6:仕上げと検品

刺繍が完成したら仕上げの工程に入ります。

  1. 青花の消去——水に濡らした筆で下絵の青花を取り除く
  2. 糸端の処理——裏側に出た糸の端を丁寧に固定する
  3. 全体の確認——刺繍の密度・光の反射・糸の方向のムラがないかを確認
  4. 金糸の整え——駒繍の金糸の向きを均一に整える
  5. プレス——刺繍部分に蒸気を当てて形を整える(金糸部分は直接当てない)

着物における京繍の役割——どこに・どう使われるか

振袖——最も豪華な刺繍の舞台

振袖は京繍が最も豪華に使われる着物のひとつです。袖・胸元・裾に、平繍・相良繍・肉入り繍・駒繍・縫い箔が組み合わさった複合的な刺繍が施されます。

最高品質の振袖では、刺繍だけで数ヶ月の工期がかかります。こうした着物の価格(数百万円以上)の相当部分が刺繍工程の職人の時間への対価です。

  • 主な刺繍箇所 袖全体・胸元・衿先・裾・おくみ
  • 代表的な文様 桜・牡丹・鶴・菊・松竹梅・宝尽くし

訪問着・付下げ——品格を加える刺繍

訪問着・付下げの刺繍は振袖ほど豪華ではありませんが、要所に施された刺繍が着物全体の品格を格段に引き上げます。

特に「染め+刺繍の組み合わせ」——友禅で染めた文様の一部に刺繍を重ねる「染め繍(ぞめぬい)」——は、最高品質の着物の表現技法として高く評価されます。

  • 代表的な使用箇所 衿元・袖・裾の絵羽文様の一部
  • 染め+刺繍の相乗効果 染めが平面的な色の深みを作り、刺繍が立体的な光と質感を加える。二つの技法が最高の効果を発揮する

留袖——刺繍の格調

黒留袖・色留袖の裾文様には、刺繍が金彩(金箔)とともに使われることがあります。特に最高格の黒留袖では、裾の絵羽模様に駒繍の金糸と相良繍が組み合わさった豪華な刺繍が施されます。

帯——刺繍帯の世界

刺繍は帯地にも使われます。「刺繍帯(ししゅうおび)」は、帯地に刺繍を施したものの総称で、袋帯・名古屋帯の格から洒落帯まで幅広くあります。

  • 礼装用刺繍袋帯 金糸の駒繍・平繍で吉祥文様・有職文様を表現。訪問着・留袖の格に合う
  • 準礼装用刺繍名古屋帯 色糸の平繍・相良繍で季節の文様を表現。付下げ・色無地との上品なコーディネートに
  • 洒落系刺繍帯 個性的な刺繍文様の洒落帯。小紋・紬との現代的なコーディネートに

能装束・社寺装束——刺繍の最高峰の舞台

着物以外でも、京繍は能装束・神社の装束・仏具などに広く使われています。特に能装束の「厚板(あついた)」「縫箔(ぬいはく)」と呼ばれる衣装は、刺繍と金箔を組み合わせた日本刺繍の最高峰の表現です。

縫箔は金銀箔を型で生地に押した上に刺繍を重ねるもので、能楽の舞台で遠くから見ても文様が際立つよう計算された、視覚的に最も強い表現です。

人間国宝・著名な京繍作家

福田喜重(ふくだきじゅう)——京繍の最高峰

福田喜重(1932〜2023年)は、2007年に「刺繍」の技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された京繍の最高峰の作家です。

福田の作品は「刺繍を芸術の境地に引き上げた」と評されます。着物・帯・屏風・掛け軸など多様な形式で制作された作品は、刺繍という技法の枠を超えた染織芸術として国内外で高く評価されています。

特に福田が確立した「光の表現」——糸の方向と技法を計算することで光が布の上を「動く」ように見える効果——は、他の刺繍師が目標とする独自の境地です。

  • 人間国宝認定 2007年。「刺繍」の技法
  • 作品の特徴 光の動きを計算した糸の配置。染色と刺繍の高次元の融合
  • 評価 国内外の美術館・博物館に作品が収蔵

京繍の分業と職人の体系

京繍の制作は、すべてを一人の職人が担当するわけではありません。図案師・色合わせ職人・刺繍職人(刺繍師)が分業することも多く、それぞれの専門性が組み合わさって一つの作品が完成します。

  • 図案師(ずあんし) 着物・帯の全体デザインと刺繍の図案を設計する専門家
  • 刺繍師(ししゅうし) 実際に針と糸で刺繍を縫い上げる職人
  • 金糸師(きんしし) 駒繍の金糸操作を専門とする職人。金糸の扱いは特別な技術を要する

京繍の職人数は年々減少しています。刺繍師として一人前になるには最低でも5〜10年の修行が必要で、収入が安定するまでの時間の長さが後継者育成の最大の課題です。

一方で、「手仕事の美しさへの関心」から若い世代が刺繍師を目指す動きも生まれています。

京繍・江戸繍——刺繍の違い

日本の刺繍には「京繍」「江戸繍(えどぬい)」という主要な産地・流派があります。それぞれの個性を知ることで、刺繍への理解が深まります。

項目京繍(きょうぬい)江戸繍(えどぬい)
産地京都東京(江戸)
色彩の傾向華やか・多彩・雅粋・シンプル・対比
得意な表現立体感・金糸・複合技法粋な江戸文様・すっきりした線
文化的背景宮廷・公家・西陣の織物文化江戸の町人文化・粋の美学
着物への使い方振袖・留袖・能装束に豪華に小紋・帯に粋に

つの刺繍はそれぞれの産地の文化・美意識を色濃く反映しています。

京繍の「華やかさと格調」・江戸繍の「粋と洗練」——どれが優れているということではなく、それぞれが日本の刺繍文化の異なる美の頂点を表しています。

京繍の着物・帯を選ぶ——見方と価値の判断

刺繍の品質を見分ける目

着物に施された刺繍の品質を判断するポイントをお伝えします。

  • 糸の密度と均一性 平繍の面積部分を見たとき、糸が隙間なく均一に並んでいるか。隙間・乱れがあると刺繍の品質が低い
  • 金糸の輝きの質 駒繍の金糸が自然光・蛍光灯でどう輝くか。本金箔の引箔は見る角度で輝きが変化する。化学金糸は均一すぎる光沢
  • 立体感の自然さ 肉入り繍の盛り上がりが自然で美しいか。詰め物が多すぎると不自然に飛び出す
  • 糸の方向の計算 花びら・葉などの面積部分の糸の方向が、文様の形に合わせて変化しているか。単純に一方向ならば品質が低い
  • 相良繍の粒の均一性 粒の大きさ・並び方が均一かどうか。バラバラな粒は職人技術が低いサイン

証紙・産地表示の確認

着物に施された京繍が「本物の京都の職人による刺繍」かどうかを確認する方法として、伝統工芸の証紙を確認することが有効です。

また呉服店のスタッフに「どこの・誰による刺繍か」を直接尋ねることも大切です。

現代では中国・東南アジアで刺繍が施された着物が「刺繍着物」として販売されています。

ミシン刺繡であることが多く、その糸の太さや粗さから一目見れば直ぐに見分けがつきます。

そのような海外での制作刺繡着物が出回っていることも注意が必要です。

海外刺繍と京繍では品質・技法の精緻さ・使用する糸の質に大きな差があります。

「刺繍着物」と「京繍の着物」を同列に扱わないよう注意が必要です。

刺繍着物の価格帯と品質

価格帯品質・特徴
10万〜30万円機械刺繍または海外職人による刺繍。糸の密度・技法の精度は低め
30万〜100万円国内の刺繍師による手刺繍。染め+刺繍の組み合わせ。品質は中〜上
100万〜300万円熟練の京繍師による複合技法の手刺繍。本金箔引箔・肉入り繍を含む最高品質
300万円以上著名な刺繍師・人間国宝クラスの作品。一点物の芸術品としての価値

最後に——京繍は「布の上の彫刻」

京繍は染色とは異なる独自の美の世界を持つ、日本が誇る最高峰の手工芸です。

一針一針、職人が糸の方向を計算しながら縫い進める平繍の面。

駒を転がしながら金糸を布の表面に沿わせる駒繍の輝き。

詰め物の上から縫い上げる肉入り繍の立体感。

相良繍が作り出す無数の粒の質感——これらすべての技法が一枚の振袖や一本の帯の上で統合されるとき、それは布ではなく「布の上の彫刻」と呼ぶべき芸術になります。

  • 京繍は 1400年以上の歴史を持つ日本刺繍の最高峰。国の伝統的工芸品指定
  • 16種以上の技法が 平繍・相良繍・駒繍・肉入り繍・縒り繍……それぞれが異なる光と質感を生む
  • 糸の素材が 本金箔の引箔・絹の糸割り——素材の質が仕上がりの格を決定する
  • 着物の刺繍は 染色と組み合わさることで、着物の文様表現を最高の段階に引き上げる

刺繍の施された着物を手に取るとき、その刺繍の一針一針に込められた職人の時間と技術を感じてください。そのとき着物はただの衣装ではなく、日本の手仕事文化の生きた証になります。

*ご注意 京刺繍と語りミシン刺繍で作られた着物も多く出回っていますが、本物と見比べれると、    プロでなくとも全く違う事が簡単に見分けられます。どうぞご注意下さい。

京繍の着物・帯についてのご相談は、当店へどうぞお気軽にご連絡ください。

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